2009年08月08日
「8」が並ぶ日に
8月8日
「八」は末広がりで縁起がいい数字
二つも並んだ今日はなんだかいい日な気がするのだけれど、
5年前の8月8日、
午前8時8分、
母は63歳の生涯を終えた。
末期のガンと診断されたのは、
それよりたった1カ月ちょっと前のことだった。
初めは足が痛いと言った。
当時生活していた愛知県で診察を受けたけれど
足には異常は見つからなかった。
そのうちに、
とうとう歩けなくなり、
寝たきりの生活になった。
心配した父は、母を元気づけるために
せめて故郷の沖縄に連れて行こうと
飛行機に乗った。
そんな両親を空港まで迎えに行った時だ。
父に支えられて
ゆっくりゆっくり歩いている母は、
まるで老人のようだった。
病が想像以上に深刻だと直感した。
それから母は
生まれ育った「津堅島」へも渡った。
何度も何度も帰りたいと言っていた島に渡った母は
どんな思いだったのだろう。
島から戻るとさらに体調が悪化した。
そして検査のつもりで中部病院に行ったら
すぐに入院となった。
2~3日してようやく病名がわかった。
「末期の胃がん」
体中に転移していて
もう手術もできなかった。
余命1カ月。
がんの痛みは相当なもののようで、
母は痛みどめの薬を処方されるだけだった。
最後の1カ月をどう過ごせばよいのか。
以前のように家族みんなで暮らすことが
何よりの親孝行だと思い、
すぐにアパートを借りて、
久しぶりの家族での生活が始まった。
父には、母のそばに付き添ってもらい、
私は薬代を稼ぐことに奔走した。
母が一番気にかけていた弟も
沖縄で仕事をみつけて一生懸命に働いていた。
だから母のそばにはなかなかいられなったけれど、
働く弟の姿は何よりの喜びだったと思う。
母の体は、
日を追うごとに衰弱していった。
足はゾウの足のように太くなり
代謝が上手くいっていないことがわかる。
肺にも水がたまり、
呼吸もだんだんと苦しそうになっていく。
そんなある夜、
母は夜中に突然目覚めて
父と話したいと言った。
さっきまで苦しそうにしていたのに、
その時は不思議なくらいしっかりした表情で、
何かを覚悟しているかのようだった。
何か大切な話があるのかもしれない・・・。
もう眠りについていた父を起こして
母が呼んでいると伝えた。
しばらく二人で何かを話しているようだった。
後から何を話したのか聞いても、
父ははっきりとは言わなかった。
きっと夫婦にとって
大切な時間だったのだろう。
そして朝が来た。
その日はたしか土曜日か日曜日だったので、
私はまだ布団の中だったが、
父の叫び声で目が覚めた。
「一枝、お母さんが、お母さんが!!」
あわててとび起きると、
母は一生懸命息を吸おうとしていたのだが、
それができずに苦しそうにしていた。
間もなく意識もなくなった。
父はすぐに救急車を呼ぶ。
私は大声で母を呼びながら、
とっさに時計を見た。
8時8分・・・・
「あ、もう逝ってしまう時なんだ」
なぜだかわからないけれど、
私は母がこの時を選んで旅立ったような気がした。
10人兄弟の末っ子として生まれた母は、
故郷沖縄で、
たくさんの兄弟や、友人に見送られ
天国に旅立った。
そして母と入れ替わるように、
弟夫婦が新しい命を授かった。
子供が大好きだった母に見せたかった「初孫」だ。
あと少しだったのにと
残念な気持ちもあるけれど、
きっとどこかで細い目をさらに細くして
見守ってくれているような気がする。
あれから5年。
弟夫婦はそれからさらに2人の子供に恵まれ、
父は3人の孫のおじいちゃんになった。
母が他界してから元気をなくしていたのだけれど、
孫の存在は偉大なようで、
母の分まで孫にメロメロになっている。
今日も小さな孫たちは
仏壇の母に向かって
小さな手を合わせてくれているだろう。
私もこれから
母の仏壇にお線香をあげて
いろんな話をしてこようと思っている。
「八」は末広がりで縁起がいい数字
二つも並んだ今日はなんだかいい日な気がするのだけれど、
5年前の8月8日、
午前8時8分、
母は63歳の生涯を終えた。
末期のガンと診断されたのは、
それよりたった1カ月ちょっと前のことだった。
初めは足が痛いと言った。
当時生活していた愛知県で診察を受けたけれど
足には異常は見つからなかった。
そのうちに、
とうとう歩けなくなり、
寝たきりの生活になった。
心配した父は、母を元気づけるために
せめて故郷の沖縄に連れて行こうと
飛行機に乗った。
そんな両親を空港まで迎えに行った時だ。
父に支えられて
ゆっくりゆっくり歩いている母は、
まるで老人のようだった。
病が想像以上に深刻だと直感した。
それから母は
生まれ育った「津堅島」へも渡った。
何度も何度も帰りたいと言っていた島に渡った母は
どんな思いだったのだろう。
島から戻るとさらに体調が悪化した。
そして検査のつもりで中部病院に行ったら
すぐに入院となった。
2~3日してようやく病名がわかった。
「末期の胃がん」
体中に転移していて
もう手術もできなかった。
余命1カ月。
がんの痛みは相当なもののようで、
母は痛みどめの薬を処方されるだけだった。
最後の1カ月をどう過ごせばよいのか。
以前のように家族みんなで暮らすことが
何よりの親孝行だと思い、
すぐにアパートを借りて、
久しぶりの家族での生活が始まった。
父には、母のそばに付き添ってもらい、
私は薬代を稼ぐことに奔走した。
母が一番気にかけていた弟も
沖縄で仕事をみつけて一生懸命に働いていた。
だから母のそばにはなかなかいられなったけれど、
働く弟の姿は何よりの喜びだったと思う。
母の体は、
日を追うごとに衰弱していった。
足はゾウの足のように太くなり
代謝が上手くいっていないことがわかる。
肺にも水がたまり、
呼吸もだんだんと苦しそうになっていく。
そんなある夜、
母は夜中に突然目覚めて
父と話したいと言った。
さっきまで苦しそうにしていたのに、
その時は不思議なくらいしっかりした表情で、
何かを覚悟しているかのようだった。
何か大切な話があるのかもしれない・・・。
もう眠りについていた父を起こして
母が呼んでいると伝えた。
しばらく二人で何かを話しているようだった。
後から何を話したのか聞いても、
父ははっきりとは言わなかった。
きっと夫婦にとって
大切な時間だったのだろう。
そして朝が来た。
その日はたしか土曜日か日曜日だったので、
私はまだ布団の中だったが、
父の叫び声で目が覚めた。
「一枝、お母さんが、お母さんが!!」
あわててとび起きると、
母は一生懸命息を吸おうとしていたのだが、
それができずに苦しそうにしていた。
間もなく意識もなくなった。
父はすぐに救急車を呼ぶ。
私は大声で母を呼びながら、
とっさに時計を見た。
8時8分・・・・
「あ、もう逝ってしまう時なんだ」
なぜだかわからないけれど、
私は母がこの時を選んで旅立ったような気がした。
10人兄弟の末っ子として生まれた母は、
故郷沖縄で、
たくさんの兄弟や、友人に見送られ
天国に旅立った。
そして母と入れ替わるように、
弟夫婦が新しい命を授かった。
子供が大好きだった母に見せたかった「初孫」だ。
あと少しだったのにと
残念な気持ちもあるけれど、
きっとどこかで細い目をさらに細くして
見守ってくれているような気がする。
あれから5年。
弟夫婦はそれからさらに2人の子供に恵まれ、
父は3人の孫のおじいちゃんになった。
母が他界してから元気をなくしていたのだけれど、
孫の存在は偉大なようで、
母の分まで孫にメロメロになっている。
今日も小さな孫たちは
仏壇の母に向かって
小さな手を合わせてくれているだろう。
私もこれから
母の仏壇にお線香をあげて
いろんな話をしてこようと思っている。
Posted by かずえ at 18:57│Comments(7)
│思うこと
この記事へのコメント
かずえさんに見守られながら旅立ったお母様は、安心して逝かれたとおもいますよ。
親の旅立ちの時に、そばに居られた事は幸せなことだとおもいます。
かずえさんの結婚のタイミングと、世間に知らせるタイミング…
何故今だったのか?
お母様がかずえさんに、授けてくれるタイミングなのかも…
親の旅立ちの時に、そばに居られた事は幸せなことだとおもいます。
かずえさんの結婚のタイミングと、世間に知らせるタイミング…
何故今だったのか?
お母様がかずえさんに、授けてくれるタイミングなのかも…
Posted by ☆妃菜のママ☆ at 2009年08月08日 22:18
かずえ さぁ〜ん o(^-^)o
この日は、あなたが幸せにずごしていることを、アピール\(^o^)/
ちょっと、かずえさぁん〜\(^^:;) うるうるなんだけど〜
どうする〜☆?
この日は、あなたが幸せにずごしていることを、アピール\(^o^)/
ちょっと、かずえさぁん〜\(^^:;) うるうるなんだけど〜
どうする〜☆?
Posted by ジャッキー\(^o^)/ at 2009年08月09日 01:53
ノリノリです。かずえさんお辛かったですね。私は祖母に本当に可愛がってもらっていましたが、やんちゃなガキだったので、「良く、くそ婆と!!」言ってましたが、突然癌が亡くなりました。そこで、初めて祖母の優しさが心に溢れて、涙が止まりません。人間はいつかそう日が来るのは、解ってますが・・・・・・!
かすえさん僕の葬式きてね。
かすえさん僕の葬式きてね。
Posted by のりお at 2009年08月09日 22:54
きっと、天国で見守っているはずです。かずえさんのご活躍を。ご冥福をお祈りします。
Posted by nao at 2009年08月10日 00:41
かずえさぁ〜ん o(^-^)o
↑↑先のコメントがあまりにも心がないような気がして…
ダブルコメントですm(__)m
私の両親はそろそろ80代の…気持ちだけは元気なジジババです〜(^^ゞ
母親が足が少し悪くて…
ただ口だけは達者で〜(^O^)
いくつになってもこども扱いですよ〜
母親のがんばって歩いてる姿を見て、歳をとったなぁ〜
と思いながらも、なにもしてあげれなかったと感じています。
かずえさんの お母さんは、きっと幸せだったと思いますよ〜
88並び…この時期になると台風とともに、きっと、かずえさんのこと思い出すんでしょうね〜
↑↑先のコメントがあまりにも心がないような気がして…
ダブルコメントですm(__)m
私の両親はそろそろ80代の…気持ちだけは元気なジジババです〜(^^ゞ
母親が足が少し悪くて…
ただ口だけは達者で〜(^O^)
いくつになってもこども扱いですよ〜
母親のがんばって歩いてる姿を見て、歳をとったなぁ〜
と思いながらも、なにもしてあげれなかったと感じています。
かずえさんの お母さんは、きっと幸せだったと思いますよ〜
88並び…この時期になると台風とともに、きっと、かずえさんのこと思い出すんでしょうね〜
Posted by ジャッキー\(^o^)/ at 2009年08月11日 03:58
⇒妃菜のママさん
そうですね。
立ち会えたことはよかったと思います。
よく母と夜中におしゃべりしたので、
またゆっくり話したい衝動に駆られるのです。
⇒ジャッキーさん
2度もコメントを書き込んでくださって
ありがとうございます。
ご両親は80代近くでお元気なんですね。
素晴らしいことです。
口が達者なのは、元気な証拠!
いっぱいおしゃべりしてください
私もいま、口の重い父と一生懸命おしゃべりしています(笑)
⇒ノリノリさん
おばあちゃん子だったんですね。
親しく近い存在だからこそ
気を許して、ついキツイ言葉も発してしまう。
母が他界したときに、私もそれを悔やみました。もっと優しい娘でありたかった。
・・・といいつつ、
父とは口げんかばかりですが・・・。
⇒naoさん
そうですね。
きっと見守ってくれていると思います。
いつか私も一生を全うしたら、
母にたくさん報告しようと
今を精一杯生きています。
そうですね。
立ち会えたことはよかったと思います。
よく母と夜中におしゃべりしたので、
またゆっくり話したい衝動に駆られるのです。
⇒ジャッキーさん
2度もコメントを書き込んでくださって
ありがとうございます。
ご両親は80代近くでお元気なんですね。
素晴らしいことです。
口が達者なのは、元気な証拠!
いっぱいおしゃべりしてください
私もいま、口の重い父と一生懸命おしゃべりしています(笑)
⇒ノリノリさん
おばあちゃん子だったんですね。
親しく近い存在だからこそ
気を許して、ついキツイ言葉も発してしまう。
母が他界したときに、私もそれを悔やみました。もっと優しい娘でありたかった。
・・・といいつつ、
父とは口げんかばかりですが・・・。
⇒naoさん
そうですね。
きっと見守ってくれていると思います。
いつか私も一生を全うしたら、
母にたくさん報告しようと
今を精一杯生きています。
Posted by かずえ at 2009年08月12日 00:45
はじめまして
幸田さんのパーティーで居酒屋enで帰りに入り口で写真お願いしました女の子です覚えて…ますか(笑)
かずえさんの笑顔は周りを明るくすると思います
かずえさんをお母さんが守ってると思うので
これからも体には気をつけて仕事頑張りすぎず
頑張って下さいね(^o^)
ちなみに私のお店
リンパマッサージ8月8日に一周年なりました
これからも日記遊びに来ていいですか
幸田さんのパーティーで居酒屋enで帰りに入り口で写真お願いしました女の子です覚えて…ますか(笑)
かずえさんの笑顔は周りを明るくすると思います
かずえさんをお母さんが守ってると思うので
これからも体には気をつけて仕事頑張りすぎず
頑張って下さいね(^o^)
ちなみに私のお店
リンパマッサージ8月8日に一周年なりました
これからも日記遊びに来ていいですか
Posted by にこちん at 2009年08月13日 04:24
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